19世紀末から20世紀初頭にかけてのアールヌーボー、デ・ステイル、表現派、セセッション、アムステルダム派、未来派などが打ち出した様式の変遷の中で、モダニズムもまたこの流動的な表現の潮流の中で発生したといわれる。また実際にはモダニズムはイギリス産業革命での人力から機械へ、手作業から道具への大変革の中建築施工も機械や道具に頼ったことからこの様式、それまでの歴史様式を刷新したのだといわれる。戦争ともかかわるが、その評価は別として、土着性はない。
現在見られている最先端の建築にみる弱い姿形は保守的なもので、何でも美化する日本社会の風潮が、弱いものは守るべきだ、それこそが正義だだとの解釈をもって、弱い表現は勝つに至った。「レイナーバンハム著 環境としての建築(SD選書260)」はそんな土着性のないモダンから、風や土のにおいのするそんな本である。記号として、古典を扱う態度はガラスにおいては辺々地位なので、ポストモダンとして扱われたこの本も、改修保存と読み取れることで未来へつなぐ歴史的な書といわれたのは興味深い。
モダニズムの時代とはその象徴的建築家であるル・コルビュジェの影響で、機械美学の印象が強いが、「明らかにガラス建築は極地や赤道地帯ではだめで、温帯のみに適した建築である。灼熱の地域では、白いコンクリートの屋根で保護しなければ成功しないだろうが、温帯ではそんな屋根は必要ない。」と本書第七章の中で述べている。また「このことはすべて、当時グロピウスの唱えていた「芸術と技術の新合成」には彼の追随者たちが彼に属するものと信じていたデザインの全戒律よりも、それを劣ったものとするような見落としがありえたことを示している。」など、技術に対する文明化という一種の両義性を提示し、ル・コルビュジェという絶体主義者にとって、都合の良いところがあるのも、それはフランクロイド・ライトのラーキンビルを表現主義として扱うだけにとどまらず労働者階級の抱える諸問題にも立ち寄って、空調的な特性を評価している。機械美学はコルビュジェ個人のもので、機械技術のホームグラウンドはアメリカだった。
第9章である「完全な制御を目指して」では、ライトのラーキンビルがここでも取り上げられている。書籍の中では発明王アメリカのベンジャミン・フランクリンや不動産屋の発言などが建築のモダニスト以外にもでてくる。「空気調和はまもなくラジオや自動車以上の必需品となるだろう(1931年当時)」。機械空調の発明があって以降、世界中のどんな地域でも好きなところで好みの名のついたどんな姿や形の家にも済むことができるようになった。
「環境としての建築」の特徴の一つとしてモダン建築、表現主義、ブルータリズム、等ミッドセンチュリーの建築と環境設備の融合がある。たとえとして挙げられるのがシンドラーで、歴史家である彼は刊行物の中で「建築の技術も歴史の対象にせねばならない」との意識を芽生えさせている。またリヒャルト・ノイトラは釣り天井の発明とは大した関係がないが、埋め込み器具にフォードのヘッドライト反射板を使い、こんなに賢明な人道的方法で証明されたことはない初のインテリアという、インテリアの発生と設備技術の因果関係を示した。言うなれば様式―演出というデザインの変遷に言及したもので、「丈夫でデザインが良い」のがよいと言っているように思われるのであるが、料理で安くてうまいができればいいし、高くてうまいは当たり前では比較にならないーあまりにも自明で、あまりにも高価な建築を金の話にしてしまっては意味がないところをうまくついている。「冷房と日よけの設備は周囲の風景の中に丸見えで「隠されている」のである。」ー矛盾をそのまま突き抜ける論調が、不動産屋まで巻き込むにもかかわらず、作家の名作(カーン、コルビュジェ、ミース等)を取り上げる文章上のアクセントとして環境設備は述べられる。
(本文より)「ここには一つの皮肉がある。というのはこの直前の数年間のたくさんの空想的な計画が、下へ行くほど低くなり、外部に露出しているダクト工事のシステムを、表現主義者の劇的に頭でっかちなシルエットに対する口実にしていたのにほとんどただ一つ建てられた、この種のサービス方式を持つ建物であるラ・リナシェンテは、サービス方式をあまりに堅苦しい、そのくせ臆病な古典化された方に押し込めたので、ほとんどそれと気が付かないほどになっていたのである」。CIAMの第一回討議の結果採択された建築、都市の近代化の指標とは、インターネット上でどのようにして周知群をえるかの問いと全く変わっていない。かように、バンハムはアーキグラムにも言及し、アメリカでのその成功をドライブインシアターであると述べたし、ラスベガスを空調の限界を超えるとした。
しかしだからといって、20世紀が様式に無関心だったわけではなかったのである。バンハム以降のポストモダン、デコンの議論はほんの一例にすぎず、これほど環境設備を含めた様式問題を真剣に議論した世紀はなかった。今ではコアなマニアック建築を除いてはただインフラなのかサービスなのかに成り下がったけんちくのありかたー「維持管理」がBIMに移行しようとしている。便利になったのではない、BIMでもできるでは説得力がなく、BIMだからできたを目指しているのだそうだが、これはまさにコンピューターと人間の知恵比べである。不動産投資という見た目短絡的な事業の効率化は後手に回っているように思え、ストック住宅をどのように活用していくかの検討に役立てたいものである。
ーフラット35がー
(2340文字)
美修_lan(ミシュラン)建築アトリエ
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